From:林建良
2011年3月11日…東北地方でマグニチュード9.0の東日本大震災が起きました。実は、地震発生直後、世界のどの国よりも早く救援隊を組織し、日本への派遣を申し入れたのは台湾でした。
ところが、当時の菅直人・民主党政権は、台湾の救援隊の入国を許しませんでした。
なぜか?
それは、台湾が一番乗りになってはいけない。中国が入った後でなければ台湾の救援隊は入ってはいけないと、台湾の空港で足止めされたのです。
結局、台湾の救援隊が日本に降り立つのを許されたのは、中国側が日本入りした翌日、14日のことでした。台湾側が派遣を表明してから、2日も経っていたのです…
このような冷遇もありましたが、台湾ではすぐさま募金活動が各地で展開され、集まった民間の義援金は200億円を超えました。世界最多の金額です。
(台湾から送られた義援金の、実に9割が一般の方から)
私はこの地震から2ヶ月後、台湾に帰省しましたが…街のあちこちに
「日本のために祈ります」
と、日本語で書かれた張り紙がしてあるのを見ました。日本人を励まそうと、日本語で書いたんですね。小中学校でも、生徒たちが手書きのメッセージを書いて日本に送りました。
南投県で食品工場を経営する私の叔母は、日本に支援物資を送りたいと、工場の生産ラインを全て支援物資の生産に切り替えました。ふだん売っている商品そのものを送るのは失礼だからと、パッケージのマークも「東日本大震災援助物資」と変え、中身もわざわざ支援用の食品に変えて、コンテナで送りました。(日本人の口に合うようにと、味付けも日本人向けに変えていたそうです…)
仲介を頼まれた私が、当時、宮城県議会で、震災の特別委員長を務めていた相沢氏に連絡を取ったところ、「どうぞ送ってください」と言っていただきました。
ですが、、驚くべきことに…
日本の税関で「税金を払え」と言われたんです。
日本への支援物資なのに、通関税を支払えと。日本へ輸出する売り物ではない、パッケージも中身も支援物資であり、“非売品”と書いてあるのに、当時の民主党政権は許してくれませんでした…
叔母は言われた通り通関税を支払い、なんとか無事に物資を通関させたのですが、、日本政府は、今度は「トラックで自分で運べ」と言う。それで叔母は、自らトラックを手配して被災地まで支援物資を運びました。東京港から仙台までコンテナ数個分の支援物資を送ったわけです。
一方、これと同時期に中国からの支援物資として、約6,000本の飲料水を積んだ飛行機が日本に到着しました。中国政府は日本政府に対して、この支援物資について・・
「まずマスコミに公開して記事にすること」
「被災地まで日本側が運搬すること」
「すべての運搬費用を日本が負担すること」
と、要求し、日本政府はそれを受け入れたのです。
台湾政府は、私の叔母のように、民間から日本に支援物資を送ったことは知りません。実際には、義援金だけでなく、物資もたくさん民間から送られていたのです。
しかし、私の叔母の例のように、日本政府は全く協力的ではありませんでした。救援部隊の足止めにしても、救援物資への通関税課税にしても、こんな冷遇を受けたら、おそらく台湾でなければ日本という国を嫌いになるでしょう。
しかし、そうはならない。日本を嫌いにはならない。これが台湾人の日本に対する気持ちなんです。恩着せがましい気持ちもない。
かつて起きた台湾中部大地震で、日本からいただいた支援への恩返しという気持ちもありますが、たとえその件がなかったとしても、台湾人は日本に対して同じことをしたでしょう。
台湾人は根底に日本に恩返ししたいという気持ちがある。自分が受けた以上の恩を返したいと。おそらく世界において、このような国は台湾以外には存在しないだろうと思います。
(書籍:「台湾を知ると世界が見える」より抜粋)